若山牧水「自筆歌幅 石こゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の。若山牧水「自筆歌幅 石こゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の。若山牧水「自筆歌幅 石こゆる水のまろみを眺めつつこころかなしも秋の。額装サイズ64.5cm×61.5cm 本誌は水墨画及び和歌そのサイズ48cm×45.5cm若山牧水の肉筆画生涯羊山公園傍の「牧水の滝」(埼玉県秩父市 2009年4月24日撮影)牧水の歌碑(静岡県三島市・三島大社)『のずゑなる三島のまちのあげ花火月夜のそらに散りて消ゆなり』宮崎県東臼杵郡坪谷村(現・日向市)の医師・若山立蔵の長男として生まれる。1899年(明治32年)宮崎県立延岡中学校に入学。短歌と俳句を始める。18歳のとき、号を牧水とする。由来は「当時最も愛していたものの名二つをつなぎ合わせたものである。牧はまき、すなわち母の名である。水はこの(生家の周りにある)渓や雨やから来たものであった」[2]1904年(明治37年)早稲田大学に入学。同級生の北原射水(後の白秋)、。石川啄木の臨終に立ち合う。同年、水穂が仲人となり喜志子と結婚。1913年(大正2年)長男・旅人(たびと)(1913〜98)誕生。その後、2女1男をもうける。1920年(大正9年)沼津の自然を愛し、特に千本松原の景観に魅せられて、一家をあげて沼津に移住する。1926年(大正15年)詩歌総合雑誌「詩歌時代」を創刊。この年、静岡県が計画した千本松原伐採に対し、新聞に計画反対を寄稿するなど運動の先頭に立ち、計画を断念させる。牧水の死後、詩歌雑誌「創作」は歌人であった妻・喜志子により受け継がれた。長男・旅人も歌人となり、沼津市若山牧水記念館の第2代館長をつとめた。人物鉄道旅行を好み、鉄道紀行の先駆といえる随筆も残している。大変な酒豪(またはアルコール依存症)としても知られ、1日に1升の酒を飲んでいたという[7]。死の大きな要因となったのは肥大性肝硬変で、亡くなる前日も計1300ccの酒を飲み、亡くなった当日の朝食にも100ccほど摂取していた[8]。前年沼津市の若山牧水記念館情熱的な恋をしたことでも知られており、妻・喜志子と知り合う前の園田小枝子との熱愛を詠んだ歌も残る。出身地・宮崎県では牧水の功績を称え、1996年(平成8年)より毎年、短たごゑつゞく古りし家竝に」という秩父の春を歌った碑がある。代表歌幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ。若山美術館 Media Art Gallery。真作/佐藤守誠/菊花画賛/布袋屋掛軸HJ-749。【真作】吉沢寒泉/渓山佳趣図/深山帰樵図/山水人物図/掛軸/名家伝来AB-896。【真作】頼支峰/五言絶句/掛軸/名家伝来/AB-873。真作/伊予十三佛霊場/遍照/布袋屋掛軸HI-72。【真作】阪口一草/白鷺図/サギ図/仏事掛/掛軸/名家伝来/AA-560。真作/下村為山/山水鳥居図/布袋屋掛軸HH-811。/文晁/梅に小禽図/花鳥/花/布袋屋掛軸HK-23。真作/静小/旭光/桐共箱付/布袋屋掛軸HG-955。模写/森寛斎/高砂図/人物/布袋屋掛軸A-238。【真作】野村松韵/新樹/新緑小禽図/掛軸/名家伝来/Z-897。【真作】狩野洞雲/川柳に人物図/僧侶/横物/掛軸/名家伝来/Z-861。模写/唐寅/青緑山水人物図/布袋屋掛軸HG-660。【真作】玉渕/蓬莱山図/祝事山水図/掛軸/名家伝来/AB-883。模写/田中柏陰/帰帆画賛/布袋屋掛軸HE-404。不詳/作者不詳/瀧山水図/布袋屋掛軸HD-800。真作/中西耕石/山水幽居図/布袋屋掛軸HB-812。【真作】吉沢寒泉/渓山佳趣図/掛軸/名家伝来/K-345 J。大樹/飛瀑仙趣之図/掛軸/名家伝来/AB-744。真作/池田興雲/渓流水鳥図/布袋屋掛軸HJ-304。不詳/作者不詳/山水画賛/布袋屋掛軸HF-618。【真作】素文/蓬莱山図/掛軸/名家伝来/AA-630